文字をしたためる
雨の日に感じる
今日は朝から雨が降っている。
<生憎の雨>と思う人も居れば
<恵みの雨>と感じている人も居る。
自分はどちらかと云えば・・・前者だと思う。
但し、真夏の夕刻に短時間でザーッと降る雨ならば
後者になることも時にはあるけれども。
他方、雨の日は無性に文字を書きたくなる時がある。
しとしと降る雨音を聴きながら読書にいそしむ人も多かろう。
確かにそれもいい。
ただ自分は、何かを、どこかを少なからず動かしたい衝動に駆られる。
決して屋内でスポーツなどをしたいということではなく。
即ち、静と動という分別であれば、専ら静の範疇で活動的になりたい衝動。
それが自分にとっては<文字をしたためる>ということになる。
そうはいうものの何を書くというのか。
・・・実のところ何でもいい。
日記であろうと、単に落書きであろうと。
兎に角、好みの紙に文字をしたためてゆく、その心地が良い。
この電脳と電子の世に何とも時代遅れなのかもしれない。
けれども、文字を紙の上に一筆ずつなぞり書いてゆく行為は貴い。
そこには、時代の高速化の中で置き去り且つ蔑ろにされたものを
今一度、じっくり取り戻す機会と
昨今の日常で忘却してゆく感覚を再び呼び起こす趣が在る。
以上、なんだかんだと能書きばかりたれてしまったが
昨今の自分にとって文字をしたためるという行為は貴重であるが故
携えるアイテムにも適度に拘ってみたいと思う。
然して、それが一本の万年筆に辿り着いたという訳だ。
好みのインクを用いて愛用の万年筆を握りしたためる文字。
たとえそれが客観視しても下手の範疇に在ろうとも
はたまた、惚れ惚れするような達筆であろうとも
其々の趣には何ら格差無く、<敢えて文字を書く>という行いには変わりない。
ましてや昨今、<読めるが書けなくなった>漢字。
そのあまりの多さに辟易さえしていた自分にとってはリハビリの一貫でさえある。
かくして、万年筆で文字をしたためる魅力を性懲りも無く語る日々。