廉価版デモンストレーター
デモンストレーターの魅力
多様なカラーインクの中から好みの色を選び使う時
使用する万年筆のボディーが透明色で無い限りは
取り敢えず文字を書いてみないと客観的にも何色のインクが出るかすら判らない。
そこで、画期的だと常々思うのはデモンストレーターという代物。
ボディーがスケルトン(必ずしも無色ではない)なデモンストレーターでは
ボディーの中に吸入(セット)されているインクの色が判別できて
更には、おおよその万年筆構造までもがオープン化されており
筆記する楽しみに加えて眺める楽しみさえもが加味される。
まさにデモンストレーションのために考案されたアイテム。
その点、万年筆の価格は、多くのご貴兄がご想像どおりのピンキリ。
福沢諭吉先生5~6人でも相手にならない代物も多数。
しかし昨今、廉価なラインナップ中にも数種のデモンストレーターが存在する。
目下愛用中でもある2本の代物がそれにあたる。
・セーラー万年筆 プロフィットJr. 透明感 中細字(MF)
・プラチナ万年筆 バランス シャイン・クリスタル 中字(M)
冒頭に引用した写真のとおりである。
因みに、左側がセーラー万年筆、右側がプラチナ万年筆。
何れも野口英世氏2~3名ほどで数枚の銀貨と銅貨が返ってくる。
また、何れもステンレス製ペン先(ニブ)のため
筆記する際には大なり小なりのカリカリ感があるけれども
それはそれとして納得している。
もっとも、14金や21金などのペン先がセットされた代物であれば
極細字仕様などでない限りはヌラヌラ、スルスルと用紙の上を滑ってくれるだろうが
当然ながら先立つものも相応に必要だし、今後の楽しみに置いている。
無論、身辺者や知人であるか否かを問わず
通りすがりの善意の人が「是非に」と進呈してくれようものなら拒む由もない。
かくしてこの際、過分な期待もせずに広く門戸を開いておくことにぶさかではない。
文字をしたためる
雨の日に感じる
今日は朝から雨が降っている。
<生憎の雨>と思う人も居れば
<恵みの雨>と感じている人も居る。
自分はどちらかと云えば・・・前者だと思う。
但し、真夏の夕刻に短時間でザーッと降る雨ならば
後者になることも時にはあるけれども。
他方、雨の日は無性に文字を書きたくなる時がある。
しとしと降る雨音を聴きながら読書にいそしむ人も多かろう。
確かにそれもいい。
ただ自分は、何かを、どこかを少なからず動かしたい衝動に駆られる。
決して屋内でスポーツなどをしたいということではなく。
即ち、静と動という分別であれば、専ら静の範疇で活動的になりたい衝動。
それが自分にとっては<文字をしたためる>ということになる。
そうはいうものの何を書くというのか。
・・・実のところ何でもいい。
日記であろうと、単に落書きであろうと。
兎に角、好みの紙に文字をしたためてゆく、その心地が良い。
この電脳と電子の世に何とも時代遅れなのかもしれない。
けれども、文字を紙の上に一筆ずつなぞり書いてゆく行為は貴い。
そこには、時代の高速化の中で置き去り且つ蔑ろにされたものを
今一度、じっくり取り戻す機会と
昨今の日常で忘却してゆく感覚を再び呼び起こす趣が在る。
以上、なんだかんだと能書きばかりたれてしまったが
昨今の自分にとって文字をしたためるという行為は貴重であるが故
携えるアイテムにも適度に拘ってみたいと思う。
然して、それが一本の万年筆に辿り着いたという訳だ。
好みのインクを用いて愛用の万年筆を握りしたためる文字。
たとえそれが客観視しても下手の範疇に在ろうとも
はたまた、惚れ惚れするような達筆であろうとも
其々の趣には何ら格差無く、<敢えて文字を書く>という行いには変わりない。
ましてや昨今、<読めるが書けなくなった>漢字。
そのあまりの多さに辟易さえしていた自分にとってはリハビリの一貫でさえある。
かくして、万年筆で文字をしたためる魅力を性懲りも無く語る日々。
ドイツから来た小包
小包到着
休日の朝、10時過ぎ頃
ベルが鳴り、玄関の扉を開けると郵便配達員の姿。
「お荷物でーす。サインか印鑑おねがいしまーす。」って。
<南米密林>で先週に注文していたモノが届いたわいな。
おお! 遥々ドイツから届いたよ!
<Germany>って明記されているし、間違いない。
取り敢えず、送料は無料。
届いた品物はコレでした。
無事に届いて何より。
しかし・・・
溺れるまではいかないまでも
概ね膝下あたりまで、噂に聞くかの沼にドップリ浸かってしまったかもなぁ(苦笑)